
(世田谷公園/2009)
<写真の持つ役割(5)>
写真の、芸術化のための武装
無から何かを生み出すわけでもなく、ただ「現実をコピーしたもの」であったそれは、絵画や彫刻のようにゼロから創造するものではない。
「写真」というジャンルは今日でこそ芸術の対象として認められているが、出てきてしばらく(19世紀半ば〜)は写真は芸術ではなく「記録」
の用途物として扱われていた。
写真による芸術を試みる動き。
ひとつはすでに芸術の分野において十分な歴史と権威を持っていた「絵画」に近づけようとする試みである。
絵画そっくりの風景を探したり、絵画におけるモチーフのレイアウトを参考にモデル・背景を配置したり・・・
そして印画紙の仕上げの段階でカメラ(レンズ)特有の「直接的すぎる描写」をぼやかす技法が用いられ、
写真ならではの特性をいい具合まで消すことによってそこに詩的表現・ムードを入れようと試みていたようである。
しかしこの絵画に寄せる「流れ」があると次にそれに反発する「流れ」が起きることが芸術の歴史には多い。
また後日詳しく書きます。
個人的にはまだまだ芸術写真のことは勉強中ですが、後の写真家の制作作品のタイプの一つに「フォルム」にこだわったものが
多く見られることが、絵画との関係性を強く表していると思います。
絵画は写真の影響により、オリジナリティを出すため写実からさらに感覚的な部分を重視した作品を制作し、そのためにリアルなモチーフを
にじませたりデフォルメしたり独自の「タッチ」を持つことを意識するようになった。
一方で写真はそのストレートな描写性から逃れられない分、モチーフの質感や形状を意識した作品が多く見られるようになった。
これも自然な流れだったのではないかと考えられます。