
(“To daiji" サラムーン氏直筆サイン/2015.4.25)
<サラムーン氏の作品について>
作品の表面的外観
・ポラロイドのぬめりのある質感
・乳剤ムラ、剥がし跡
・表面の引っかき傷
・ブレ、ピンボケ、ザラつき
・多重露光の跡
上記含め全てのテクスチャーが作品の一部分である。
これらは一般的に写真のクオリティ、プリントの品質としては決して高いものではないはずなのだが、
そういった「セオリー」のようなものとは関係のないところに位置しているのが氏の作品である。
つい先日の5/4まで、銀座シャネルのネクサスホールでサラムーン個展「巡りゆく日々」が開催されていた。
http://chanelnexushall.jp/program/2018/dun-jour-a-lautre/
(シャネル・ネクサスホールの展示案内ページ)
僕はサラムーン氏の作品が昔から好きで、2015年に銀座のakio nagasawa gallaryで行われた個展(日本のコマーシャルギャラリー
では初個展だった)ではご本人にサインを頂いたくらいである。
今回の個展ももちろん観に行き、感想を書こうと思ったのだが、各回とも作品のまとめ方は違えど全体を通して受ける印象は
いつもさほど変わらない。写真集からの場合も同じである。
幻想的であり、退廃的であり、でもどこか懐かしいようでもあり...作品がはらんでいる断片的な要素を印象として挙げることは
できても、根本的な部分を言葉で形容するのは非常に難しい。
氏は何を撮っているのか。
それは日常の光景が、自身の中にある世界とつながる・リンクする瞬間なのではないか。
自身の内部と外部の周波数のようなもの、またはチャンネルのようなものが一致する時というのが日常の中には
きっとあり、その瞬間の光景を写真で撮らえているのではないだろうか。
そしてそれは現像・プリントの段階を経て氏の世界の中の光景へと置き換えられていく...
氏の作品に共鳴する人々の内側には、どこか近い風景が流れているのだろうか。
彼らは作品を観ると同時に、無意識に自分の中の景色を見ているのかもしれない。